現代社会への警告!?千と千尋の神隠しにおける「カオナシの正体」
宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」。
これは言わずもがな、スタジオジブリ作品の中において空前の大ヒットとなった作品です。
ちなみにジブリ作品のほとんどは「何度見ても楽しめる」奥深さが共通してあるように思います。
そして「千と千尋の神隠し」もまさにその一作品。
ユーモラスなキャラクター構成もその要因の一つでしょう。
そんな中、ひと際個性的なのが「カオナシ」ではないでしょうか?
あの何とも薄気味悪い、不思議なキャラの正体とは一体何なのか?
ここでは筆者なりにその正体について検証してみました。
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「千と千尋の神隠し」の中でもとりわけ印象に残る「カオナシ」…
湯婆婆の下で働くことになった千の元に、ヒッソリと現れた「カオナシ」。
黒い影のような体に、表情のない白いお面、そして何とも言い表せないような声を漏らすその姿…
彼は「千と千尋の神隠し」のみならず、ジブリ作品の中でもひと際印象に残るキャラクターですよね。
じゃあ彼の「正体」って何?そもそも正体という設定すら存在するのか?
そのヒントが本作品の中に描かれていたのです。
カオナシは千に好かれたい気持ちから、クサレ神を洗い流す薬湯の札を千に渡します。
それによって湯婆婆や他の者たちから認められた千。
そんな彼女を見て誇らしげなカオナシは、彼女に好かれようと沢山の薬湯の札や金を渡そうとしますが、千はそれを拒否。
それでも執拗に彼女に近づこうとするカオナシは様々な人を飲み込んでいき、凶暴化。
力づくで千を誘惑しようとするのです。
しかしそんな姿を哀れに思った千は、両親に渡すつもりだった苦団子をあげて救おうとします。
団子を飲んだカオナシは吸収したものを外に出して、かつての姿へと戻るのです。
本作品ではその正体について具体的な解説はされていないものの…
そんな二人のやりとりから見て、彼の正体は「好かれたい、自分のことを認めて欲しい」といった気持ちや欲求が具現化した生き物ではないかと推測されます。
最初は穏やかに千に接していたカオナシ。
そこから徐々にエスカレートして、終いに暴力的に迫る姿はまるでストーカーのようにすら感じますね…
「カオナシの正体」は私たち人間、誰しもが抱えているもの!?
先述したように「カオナシの正体」についての具体的な説明は「千と千尋の神隠し」の中で描かれていません。
ですが、監督である宮崎駿氏はその存在について「カオナシとは現代の我々そのもの。彼のキャラクター性は、今や誰の心にも共通して存在する」とコメント。
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そのような点からしても、カオナシの正体はやはり私たちが抱えている嫉妬や羨望などの「欲」が形になった存在のようです。
それに対して、千は手にしたい物などへの欲求はかなり薄く、真逆的(無気力的)なキャラクターと言えるかもしれません。
多くの人を巻き込んで欲が巨大化し、凶暴化したカオナシ。
苦団子のおかげで飲み込んだものを吐き出すと元の姿に戻り、それでもなお千の元へ近づこうとします。
その姿は悲惨と言うか、どこか気の毒な雰囲気すら醸し出していますね…
カオナシは自分に相応しい居場所を見つけたのか?
「千と千尋の神隠し」の終盤、千はハクを救うために銭婆の元へと向かいます。
「銭婆」は湯婆婆の姉で、とても恐ろしい魔女だと言われていましたが…実際は心優しき魔女。
訪れた千の一行を暖かく迎え入れていた場面もそれを感じさせるシーンでしょう。
千は銭婆から魔法の力を持った髪留めを受け取るとハクや湯婆婆の元へ帰りますが、カオナシは仕事を与えてくれた銭婆の住みかに留まることに。
この銭婆の家で、彼は本来のやすらぎを取り戻してどこかホッとしている様子が感じ取れます。
それは心優しい銭婆から「頼られている」という実感が彼に湧いてきたからでしょうね。
「千と千尋の神隠し」においてとても印象に残る場面ですし、個人的にも好きなシーンです。
まとめ
今回は「千と千尋の神隠し」におけるカオナシとその正体について見てきました。
カオナシの正体。それは私たち誰しもが持った「欲」の表れであるとすれば、彼に対する見方も変わってくるのではないでしょうか?
「カオナシ」とは宮崎駿監督が私たち視聴者に対して伝えたかった一つのメッセージ(現代社会への警告)なのかもしれません…
そんな視点で「千と千尋の神隠し」を鑑賞すれば、また違った面白さが感じられるはずです。